社会と服装

服装について考えたい。fashionというよりも、みなが着る服とか服装とか。

だれでも服を着ていますし、着替えます。いつも毎日毎日同じ服で同じ靴下で同じ下着で髪を伸ばし続け爪も手入れしない社会人というのはいません。無人島に住むひとにはいるかもしれませんが、無人島にひとりではそこは社会ではありませんから、社会人ではないのです。社会人ならば服を着ています。なぜならひとに見られるからです。

人に見られるから服を着るのです。

服を着る目的は外的から裸を守るとかいう原始時代のはなしは置いておきましょう。今の時代には、靴を履き、靴下もはき、アクセサリーまで着けているわけですが、それはすべて社会の一員として着けているわけです。ファッションはまったく関係ないというひとでもそういった服を着ているのです。しかも自分の意志で選んだ服を。

 

ひとにどう見られるかばかりを気にするようでは、うまくいきませんが、どう見られるかを知ること、知ったうえでふるまうということは必要なのかもしれません。社会の一員という自覚とか、社会を構成するという意識とか。

自身を持っているひとはひとにどう思われるかを気にしない、自己肯定できているひとはひと目ばかり気にしないということと、服装やみだしなみがひとにどう映るか、どう認識されているのかに配慮することとはわけて考えていいと思います。

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